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第二部、
国立国会図書(荘子内篇)
(荘子外篇)
(荘子雑篇)
電子図書
荘子(逍遥遊篇)1~14
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逍遙游第一(1)
北 冥 有 魚 , 其 名 為 鯤 。 鯤 之 大 , 不 知 其 幾 千 里 也 。 化 而 為 鳥 , 其 名 為 鵬 。 鵬 之 背 ,不 知 其 幾 千 里 也 。 怒 而 飛 , 其 翼 若 垂 天 之 雲 。 是 鳥 也 , 海 運 則 將 徙 於 南 冥 。 南 冥 者, 天 池 也 。
北 冥 に 魚あり、其の名を鯤(コン)と為す。鯤の大いさ其の幾千里なるかを知らず。化して鳥と為るや、其の名を鵬(ホウ)と為す。鵬の背(そびら)、其の幾千里なるかを知らず。怒(ド)して飛べば其の翼(つばさ)は垂天(スイテン) の雲の若(ごと)し。是(こ)の鳥や、海の運(うご)くとき則(すなわ)ち将(まさ)に南冥(ナンメイ)に徙(うつ)らんとす。南冥とは天池(テンチ)なり。
この世界の北の果て、波も冥(くら)い海に魚がいて、その名は鯤という。その鯤の大きさは、いったい何千里あるのか見当もつかないほどの、とてつもない大きさだ。
この巨大な鯤が(時節が到来し)転身の時を迎えると、姿を変えて鳥となる。その名は鵬という。その背(せな)の広さは幾千里あるのか見当もつかない。
この鵬という巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてば、その翼の大きいこと、まるで青空を掩(おお)う雲のようだ。
この鳥は、(季節風が吹き)海の荒れ狂うときになると、(その大風に乗って飛び上がり)、南の果ての海へと天翔(あまがけ)る。「南の果ての海」とは天の池である。
逍遥遊第一(2)
《 齊 諧 》 者 , 志 怪 者 也 。 《 諧 》 之 言 曰 : 「 鵬 之 徙 於 南 冥 也 , 水 擊 三 千 里 , 摶 扶 搖 而 上 者 九 萬 里 , 去 以 六 月 息 者 也 。 」 野 馬 也 , 塵 埃 也 , 生 物 之 以 息 相 吹 也 。 天 之 蒼 蒼 , 其 正 色 邪 ? 其 遠 而 無 所 至 極 邪 ? 其 視 下 也 , 亦 若 是 則 已 矣 。
齊諧(セイカイ)とは怪(カイ)を志(し)れる者なり。諧の言に曰(い)わく、「鵬の南冥に徙(うつ)るや、水に擊(う)つこと三千里、扶搖(フヨウ・つむじかぜ)に摶(はう)ちて上(のぼ)ること九万里、去るに六月の息(かぜ)を以てする者なり」と。
野馬(ヤバ・かげろう)や塵埃(ジンアイ)や、生物の息を以て相(あ)い吹くなり。天の蒼蒼(ソウソウ)たるは其れ正色(セイショク・まことのいろ)なるか、其れ遠くして至極(シキョク)する所なければか。
其の下を視(み)るや、亦(ま)た是(か)くの若(ごと)くならんのみ。
齊諧(セイカイ)という人は世の中の不思議な話をしっている物識りだが、彼の話によると、「鵬が南の果ての海に移る時には、水に撃(う)つこと三千里、つむじかぜに羽ばたいて上ること九万里、六月の風に乗って天がけり去る(飛び去る)のだ」という。
かげろうか、塵埃(ジンアイ)か、生きとし生けるもののひしめきあって呼吸するこの地上の世界。
その遙か上に広がる大空の深く青々とした色は、いったい大空そのものの色であろうか。それとも遠くへだたって限りがないから、そう見えるのであろうか。
鵬が九万里の高みから逆に地上の世界を見下ろすとき、やはりこのように青々と見えているに違いない。
逍遥遊第一(3)
且 夫 水 之 積 也 不 厚 , 則 其 負 大 舟 也 無 力 。 覆 杯 水 於 坳 堂 之 上 , 則 芥 為 之 舟 。 置 杯 焉 則 膠 , 水 淺 而 舟 大 也 。 風 之 積 也 不 厚 , 則 其 負 大 翼 也 無 力 。 故 九 萬 里 , 則 風 斯 在 下 矣 , 而 後 乃 今 培 風 ; 背 負 青 天 而 莫 之 夭 閼 者 , 而 後 乃 今 將 圖 南 。
且つ夫(そ)れ水の積むや厚からざれば、則ち其の大舟を負(の)するや力なし。杯水を坳堂(オウドウ・ヨウドウ)の上に覆(くつが)えせば、則ち芥(カイ・あくた)これが舟と為らんも、杯を焉(ここ)に置かば則ち膠(コウ)せん。水浅くして舟大なればなり。
風の積むや厚からざれば、則ち其の大翼を負(の)するや力なし。故に九万里にして風斯(すなわ)ち下に在り。而(しか)る後(のち)乃今(いま)や風に培(の)り、背に青天を負(お)いて、これを夭閼(ヨウアツ・さえぎる)する者なし。而る後乃今(いま)や将(まさ)に南を図らんとす。
そもそも水のたまりかたが十分深くなければ、そこに大きな舟を浮かべるのには堪えられない。杯の水をでこぼこのある床(ゆか)の上にくつがえすと、せいぜい塵芥(ちりあくた)ならそのたまり水の舟ともなろうが、そこに杯を置くと底が床についてしまう。たまり水は浅いのに舟は大きいからである。
風の集まりかたがじゅうぶん多くなければ、そこに鵬の大きな翼をのせるのには堪えられない。そこで九万里も上ってこそ翼の下にじゅうぶんな風が集まるのである。さて、そのうえではじめて、今こそ大鵬は風に乗り青々とした大空を背負って何物にもさえぎられず、そのうえではじめて、今こそ南の海を目ざそうとするのである。
逍遥遊第一(4)
蜩 與 學 鳩 笑 之 曰 : 「 我 決 起 而 飛 , 搶 楡 枋 , 時 則 不 至 而 控 於 地 而 已 矣 , 奚 以 之 九 萬 里 而 南 為 ? 」 適 莽 蒼 者 , 三 餐 而 反 , 腹 猶 果 然 ; 適 百 里 者 , 宿 舂 糧 ; 適 千 里 者, 三 月 聚 糧 。 之 二 虫 又 何 知 ! 小 知 不 及 大 知 , 小 年 不 及 大 年 。
蜩(チョウ・ひぐらし)と学鳩(ガクキュウ・こばと)とこれを笑いて曰(い)わく、「我れら決起(ケッキ)して飛び、楡枋(ユボウ)に搶(つきすす)むも、時としては則ち至らずして地に控(コウ・なげいだ)さるるのみ。奚(なに)を以て九万里に之(のぼ)りて南することを為さん」と。
莽蒼(モウソウ)に適(ゆ)く者は三餐(サンサン)にして反(かえ)れば、腹なお果然(カゼン・ふくれ)たり。百里に適(ゆ)く者は宿(シュク)に糧(かて)を舂(うすづ)き、千里に適(ゆ)く者は三月(みつき)糧(かて)を聚(あつ)む。之(こ)の二虫はまた何をか知らんや。
小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。
蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)とがそれをせせら笑っていう、「我々はふるいたって飛び上がり、楡(にれ)や枋(まゆみ)の木に勢いよく飛びつくが、それさえ行きつけずに地面にたたきつけられてしまうこともある。それなのに何の必要があって九万里もの高さに翔けのぼり、南に行こうとするのか。(なんとおおげさで無用なことだろう)と。
莽(くさ)の青々としげった近郊の野原に出かける者(ひと)は、三食の弁当だけで帰ってきて、それでもまだ満腹でいられるが、百里の旅に出る者(ひと)は、一晩かかって食糧の米をつき、千里の旅に出る者(ひと)は、三か月もかかって食糧を集めて準備をするのだ。大鵬が図南(トナン)の翼(つばさ)を張るためには九万里の上騰(ジョウトウ)が必要となるのだが、この小さな蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)に、大鵬の飛翔のことなど、いったいどうして理解できようか。
知恵小さきものは、大いなる知恵をもつものには及ばず、短き年寿(よわい)をもつものは、長き年寿(よわい)をもつものにはとうてい匹敵できぬのである。
逍遥遊第一(5)
奚 以 知 其 然 也 ? 朝 菌 不 知 晦 朔 , 蟪 蛄 不 知 春 秋 , 此 小 年 也 。 楚 之 南 有 冥 靈 者 , 以 五 百 歳 為 春 , 五 百 歳 為 秋 ; 上 古 有 大 椿 者 , 以 八 千 歳 為 春 , 八 千 歳 為 秋 。 而 彭 祖 乃 今 以 久 特 聞 , 衆 人 匹 之 , 不 亦 悲 乎 !
奚(なに)を以て其の然(しか)るを知るや。朝菌(チョウキン)は晦朔(カイサク)を知らず、蟪蛄は春秋を知らず。此れ小年なり。楚(ソ)の南に、冥霊(メイレイ)なる者あり、五百歳を以て春と為し、五百歳を秋となす。上古に大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す。而るに彭祖(ホウソ)は乃(すなわ)ち今、久(キュウ・いのちながき)を以て特(ひと)り聞こえ、衆人これに匹(たぐ)わんとする、亦(ま)た悲しからずや。
どうしてそのことが分かるか。朝菌は朝から暮れまでのいのちで、夜と明け方を知らず、?蛄(夏ぜみ)は夏だけの命で、春と秋を知らない。これが短い寿命である。楚の国の南方には冥霊(メイレイ)という木があって、五百年のあいだが生長繁茂する春で、また五百年のあいだが落葉の秋である。大昔には大椿(タイチン)という木があって、八千年のあいだが生長繁茂の春で、また八千年のあいだが落葉の秋であった。
ところが、彭祖(ホウソ)は、わずかに八百年を生きたというだけで、長寿者として大いに有名であり、世間の人々は、長寿のことを話題にする場合は必ず彭祖をひきあいに出す。何と悲しいことではないか。
逍遥遊一(6)
湯 之 問 棘 也 是 已 。 窮 髮 之 北 有 冥 海 者 , 天 池 也 。 有 魚 焉 , 其 廣 數 千 里, 未 有 知 其 脩 者 , 其 名 為 鯤 。 有 鳥 焉 , 其 名 為 鵬 , 背 若 太 山 , 翼 若 垂 天 之 雲 , 摶 扶 搖 羊 角 而 上 者 九 萬 里 , 絶 雲 氣 , 負 青 天 , 然 后 圖 南 , 且 適 南 冥 也 。 斥 鷃 笑 之 曰 : 「彼 且 奚 適 也 ? 我 騰 躍 而 上 , 不 過 數 仞 而 下 , 翱 翔 蓬 蒿 之 間 , 此 亦 飛 之 至 也 , 而 彼 且 奚 適 也 ? 」 此 小 大 之 辯 也 。
湯(トウ)の棘(キョク)に問えることも、是(こ)れのみ。窮髮(キュウハツ)の北に冥海(メイカイ)なるものあり。天池(テンチ)なり。魚あり、その広さ数千里。未(いま)だ其の脩(なが)さを知る者あらず。其の名を鯤(コン)と為す。鳥あり、其の名を鵬(ホウ)と為す。背(せ)は泰山(タイザン)の若(ごと)く、翼は垂天(スイテン)の雲の若し。扶搖(フヨウ・つむじかぜ)に摶(はう)ち羊角(ヨウカク)して上ること九万里、雲気(ウンキ)を絶(こ)え、青天を負いて然る後に南せんことを図(はか)り、且(まさ)に南冥(ナンメイ)に適(ゆ)かんとするなり。
斥鷃(セキアン)これを笑いて曰わく、「彼且(まさ)に奚(いず)くに適(ゆ)かんとするや。我れ騰躍(トウヤク)して上るも数仞(スウジン)に過ぎずして下(お)ち、蓬蒿(ホウコウ)の間に翱翔(コウショウ)す。此(こ)れも亦(ま)た飛ぶの至りなり。而るを彼且(まさ)に奚(いず)くに適(ゆ)かんとするや」と。
此(こ)れ小大の辯(ベン・ちがい)なり。
草木も生ぜぬ、北極付近の不毛の地に波冥(くら)き海がある、天の池である。そこに魚がいて、その体の広さは数千里、その長さは誰にも見当がつかない。その名は鯤(コン)という。そこにはまた鳥がいて、その名は鵬(ホウ)という。背中はまるで泰山のようであり、翼は大空いっぱいに広がった雲のようである。さてこの大鵬は、はげしいつむじ風にはばたくと、くるくると螺旋(ラセン)を描いて九万里もの上空に舞い上がり、雲気の層を越え出て青い大空を背負うと、そこで始めて南方を目ざして南の冥(くら)き海にゆこうとするのである。
斥鷃(うずら)がそれを笑っていうには、「あいつはいったいどこへ行こうとするのだ。おれは力いっぱい跳躍して飛び上がっても五・六仞(ジン)の高さで落ちてしまい、つる草[金谷治 釈]のしげみの中を飛びまわる。これだってすごい飛び方なんだ。それなのに、あいつはいったいどこへ行こうとするのだ」と。
これが小さいものと大きいものとの見解の相違である。
逍遥遊第一(7)
故 夫 知 效 一 官 , 行 比 一 鄕 , 德 合 一 君 而 徴 一 國 者 , 其 自 視 也 亦 若 此 矣 。 而 宋 榮 子 猶 然 笑 之 。 且 舉 世 而 譽 之 而 不 加 勸 , 舉 世 而 非 之 而 不 加 沮 , 定 乎 内 外 之 分 , 辯 乎 榮 辱 之 境 , 斯 已 矣 。 彼 其 於 世 未 數 數 然 也 。 雖 然 , 猶 有 未 樹 也 。 夫 列 子 御 風 而 行 , ? 然 善 也 , 旬 有 五 日 而 後 反 。 彼 於 致 福 者 , 未 數 數 然 也 。 此 雖 免 乎 行 , 猶 有 所 待 者 也 。若 夫 乘 天 地 之 正 , 而 御 六 氣 之 辯 , 以 游 無 窮 者 , 彼 且 惡 乎 待 哉 !故 曰 : 至 人 無 己 , 神 人 無 功 , 聖 人 無 名 。
故に夫(か)の知は一官に効(いさおし)あり、行いは一郷を比(した)しませ、徳は一君に合(かな)い、而(ざえ)は一国に徴(め)さるる者の、其の自(みずか)ら視ることまた此(か)くの若(ごと)し。而(しこう)して宋栄子(ソウエイシ)は猶然(ユウゼン)としてこれを笑う。
且(か)つ世を挙(こぞ)りて、これを誉(ほ)むるも勤(はげみ)を加(ま)さず、世を挙(こぞ)りてこれを非(そし)るとも沮(くじけ)を加(ま)さず、内外の分を定め、栄辱の境(キョウ)を弁ず。斯(こ)れのみ。彼れ其の世に於(お)けるや未だ数数然(サクサクゼン)たらざるなり。
然りと雖(いえど)も猶(な)お未だ樹(た)たざるものあるなり。夫(そ)れ列子(レッシ)は風に御(ギョ)して行き、?然(レイゼン)として善(よ)し。旬有五(ジュンユウゴ)日にして後(のち)反(かえ)る。彼れ福を致す者に於いて未だ数数然たらず、此れ行(ある)くことを免(まぬか)ると雖も、猶お待(たの)む所の者あるなり。
若(も)し夫(そ)れ天地の正に乗じて六気の弁に御し、以て無窮に遊ぶ者は、彼且(は)た悪(いずく)にか待(たの)まんとするや。
故に曰わく、「至人(シジン)は己(おの)れなく、神人(シンジン)は功(いさおし)なく、聖人(セイジン)は名なし」と。
だから、その知識は一つの官職に任ぜられて功績をあげるにふさわしいというだけ、その行為は一つの郷(むら)を感化して睦(むつ)みしたしませてゆくというだけ、そのすぐれた徳と秀でた才能が一国の君主の思し召しにかない、召し出されて知遇を受けるというだけの、あの人々(世間でいう秀才たち)が、自分のことをふりかえるとき、この蜩(ひぐらし)・学鳩(こばと)・斥?(うずら)がおのれの小さき飛翔を至上のものと思うその卑小さと似ているのである。
そこで、(無抵抗主義・反戦主義の思想家)宋栄子(ソウエイシ)は、ニタリニタリと、(世間の価値づけに一喜一憂する、善良なる常識人である)彼らを冷笑するのである。そして、世間のすべての人々に誉められても、そのためにさらに励むということもなく、世間のすべての人々に誹(そし)られても、そのためにがっかりするということもなく、世間の毀誉褒貶に心を動かされず、おのれに本質的なもの(内)と然らざるもの(外)とを見分け、人間にとって何が真の栄誉であり、何が真の恥辱であるかを明らかにするだけの主体性を、いちおうは持った人間である。そしてその意味では宋栄子は世俗を超える(あくせくしない)人間である。しかしそれはあくまで、それだけのものであって根本の確立したものではない。宋栄子は世俗を笑いながら、なお世俗にこだわるところがある。彼の足はなお世俗を離れていないのである。真の超越者は現実を飛翔するのである。
列子は風にうち乗ってかけめぐり、軽やかですばらしい。(風が変わる)十五日がたって、はじめて戻ってくる。彼は世間的な幸福の追求に汲々(キュウキュウ)としていない。これは自分で歩くわずらわしさから解放されているという点では宋栄子よりもすぐれているのであるが、まだ頼みとするものを残している。列子の飛翔はなお風に依存し、彼の超越はなお外に在るものにとらわれている。つまり彼の超越はまだ真に自由自在な絶対の境地には達していないのである。
ところが天地の正常さにまかせ自然の変化にうち乗って、終極のない絶対無限の世界に遊ぶ者ともなると、彼はいったい何を頼みとすることがあるだろうか。彼は、大自然の生成変化の極まりなきがごとく、一切の時間と空間を超えた絶対自由の世界に逍遥するから、何ものにも依存することなく、何ものにも束縛されることがない。
そこで、「至人には私心がなく、神人には功績がなく、聖人には名誉がない」というのである。つまり絶対者は世俗を遙かなる高みに超えるから世俗的な自我にとらわれることも、世間的な価値に左右されることも、人間的な言葉によって栄誉づけられることもないのである。
逍遥遊第一(8)
堯 讓 天 下 於 許 由 , 曰 : 「 日 月 出 矣 , 而 爝 火 不 息 , 其 於 光 也 , 不 亦 難 乎 ! 時 雨 降 矣, 而 猶 浸 灌 , 其 於 澤 也 , 不 亦 勞 乎 ! 夫 子 立 而 天 下 治 , 而 我 猶 尸 之 , 吾 自 視 缺 然 。請 致 天 下 。 」
許 由 曰 : 「 子 治 天 下 , 天 下 既 已 治 也 , 而 我 猶 代 子 , 吾 將 為 名 乎 ? 名 者 實 之 賓 也 ,吾 將 為 賓 乎 ? 鷦 鷯 巣 於 深 林 , 不 過 一 枝 ; 偃 鼠 飲 河 , 不 過 滿 腹 。 歸 休 乎 君 , 予 無 所 用 天 下 為 ! 庖 人 雖 不 治 庖 , 尸 祝 不 越 樽 俎 而 代 之 矣 。 」
堯(ギョウ)、天下を許由(キョユウ)に譲(ゆず)りて曰わく、「日月出(い)づるに而(しか)も爝火(シャクカ)息(や)まず、其の光に於けるや亦た難(いたずら)ならずや。時雨(ジウ)の降(くだ)れるに而も猶(な)お浸灌(シンカン・みずそそ)げば、其の沢(うるおい)に於けるや亦た労(いたずら)ならずや。夫子(フウシ)立たば而(すなわ)ち天下治まらん。而るに我れ猶おこれを尸(つかさど)る。吾れ自ら視るに欠然(ケツゼン)たり。請(こ)う天下を致さん」と。
許由曰わく、「子、天下を治めて、天下既已(すで)に治まれり。而(しか)るを我れ猶お子に代わらば、吾れ将に名を為(もと)めんとするか。名は実(じつ)の賓(ヒン・そえもの)なり。吾れは将に賓(ヒン・そえもの)とならんとするか。鷦鷯(ショウリョウ・みそさざい)は森林に巣くうも一枝(イッシ)に過ぎず。偃鼠(エンソ・むぐらもち)は河(おおかわ)に飲(みずの)むも腹を満たすに過ぎず。帰り休(いこ)われよ君(きみ)、予(わ)れは天下を用(も)って為(な)す所なし。包人(ホウジン)、包を治めずと雖も、尸祝(シシュク)は樽俎(ソンソ)を越(うば)いてこれに代わらず。
堯(ギョウ)、が天下を許由(キョユウ)に譲ってこういった。「太陽や月が出て明るいのに、まだ炬火(たいまつ)を消さずにいるのは、明るさについて、なんとむだなことではありませんか。季節にかなった雨が降っているのに、まだ潅漑で水をかけているのは、その潤(うるお)いについて、なんとむだ骨ではありませんか。先生が即位されたなら天下はよく治まるでしょうに、先生のような人格者をさしおいて、わたしのような人間が天下を主宰しています。わたしではとても不十分です。わたしは自ら省みてわが身の拙さが恥ずかしいのです。どうか天下をお譲りしたいのですが」と。
許由が答える「あなたが天下を治めて、天下はすでによく治まっている。それなのに私があなたに代われとは、名誉が欲しかろうとでもおっしゃるのか。名誉(名目)などというものは実質の客(一時的な仮りのもの)にすぎない。わたしに、実質をともなわない仮りの客となれといわれるか。
鷦鷯(みそさざい)は深い林の中に入って巣をつくっても、わずか一枝のことであるし、偃鼠(むぐらもち)は大きな川で水を飲んでも、その小さな腹を満たすだけだ。君よ、帰って休息するがよい。このわたしが天下をもらい受けたとて何としよう(何もすることがないのだ)。たとい料理人が料理を怠ろうとも、神主がお供えの酒器や肉台(まないた)を持ってきてその代わりをしたりはしないものだ。
逍遥遊第一(9)
肩 吾 問 於 連 叔 曰 : 「 吾 聞 言 於 接 輿 , 大 而 無 當 , 往 而 不 返 。 吾 驚 怖 其 言 猶 河 漢 而 無 極 也 , 大 有 徑 庭 , 不 近 人 情 焉 。 」
肩吾(ケンゴ)、連叔(レンシュク)に問うて曰わく、「吾れ言(ゲン)を接輿(セツヨ)より聞けるに、大にして当たるなく往(ゆ)きて反(かえ)らず、吾れ驚き怖る。其の言は猶お河漢のごとくにして極まりなし。大いに徑庭(へだたり)ありて人情に近からず 」と。
肩吾(ケンゴ)が連叔(レンシュク)に問いかけていうには、「わしは接輿(セツヨ)から話を聞いたが、とても大げさで、夜空にはてしなくひろがる天の河のように遠く遙かでつかまえどころがない。世間一般の話とは懸け離れていて、常識ではとても受け入れられないほど現実ばなれしているよ」と。
逍遥遊第一(10)
連 叔 曰 : 「 其 言 謂 何 哉 ? 」「 曰 『 藐 姑 射 之 山 , 有 神 人 居 焉 。 肌 膚 若 冰 雪 , 綽 約 若 處 子 ; 不 食 五 穀 , 吸 風 飲 露 ; 乘 雲 氣 , 御 飛 龍 , 而 游 乎 四 海 之 外 ; 其 神 凝 , 使 物 不 疵 癘 而 年 穀 熟 。 』 吾 以 是 狂 而 不 信 也 。 」
連叔曰わく、「其の言は何と謂(い)えるや」と。曰わく、「『藐(はる)かなる姑射(コヤ)の山に神人(シンジン)のありて居る。肌膚(キフ)は冰雪(ヒョウセツ)のごとく、綽約(シャクヤク)たること処子(ショシ)の若(ごと)し。五穀を食(く)らわず、風を吸い露を飲み、雲気に乗じ、飛龍に御(ギョ)して、而(しこう)して四海の外に遊ぶ。其の神(シン)凝(こ)れば、物をして疵(きず)つけ癘(や)ましめず、年穀(ネンコク)をして熟せしむ。』と。吾れ是れを以て狂として信ぜざるなり」と。
連叔がたずねた、「その話とはどんな内容だったのか?」と。肩吾が答えて「『はるかなる姑射の山には仙人が棲んでいる。肌(はだえ)は氷か雪のように真っ白で、しなやかな肢体(シタイ)をういういしいなまめかしさに包んだ処女(おとめ)のように清浄無垢である。穀物などは食べることなく、風を吸って露を飲み、雲気の流れにまかせて飛龍にうち乗り、天地宇宙の間を自由自在に飛翔して回り、この世界の外で遊んでいる。ひとたびその精神が凝集すれば、災禍なく疫病なく、一年の実りを成熟させて飢餓をなからしめ、その宇宙的な精神のはたらきが、生きとし生けるものに生の安らかなる歓喜を謳歌させる。』というのだ。わしはこのようにとほうもない話はとても信用できぬのだ。
逍遥遊第一(11)
連 叔 曰 : 「 然 , 瞽 者 無 以 與 乎 文 章 之 觀 , 聾 者 無 以 與 乎 鐘 鼓 之 聲 。 豈 唯 形 骸 有 聾 盲 哉 ? 夫 知 亦 有 之 。 是 其 言 也 , 猶 時 女 也 。 之 人 也 , 之 德 也 , 將 旁 礴 萬 物 以 為 一 , 世 蘄 乎 亂 , 孰 弊 弊 焉 以 天 下 為 事 ! 之 人 也 , 物 莫 之 傷 , 大 浸 稽 天 而 不 溺 , 大 旱 金 石 流、 土 山 焦 而 不 熱 。 是 其 塵 垢 秕 糠 , 將 猶 陶 鑄 堯 舜 者 也 , 孰 肯 以 物 為 事 ! 」
連叔曰わく、「然り、『瞽者(コシャ)は以て文章の観に与(あずか)ることなく、聾者(ロウシャ)は以て鐘鼓(ショウコ)の声(こえ)に与かることなし。豈(あ)に唯(た)だ形骸にのみ聾盲(ロウモウ)あらんや。夫(か)の知にも亦(ま)たこれあり』と。是れその言や猶お時(こ)の女(なんじ)のごときなり。之(こ)の人や、之の徳や、将(まさ)に万物を旁(あまね)く礴(おお)いて以て一と為(な)さんとす。世(よ)は乱(おさ)めんことを蘄(もと)むるも、孰(たれ)か弊弊焉(ヘイヘイエン)として天下を以て事と為(な)さんや。之(こ)の人や、物(なにもの)も之(これ)を傷つくることなし。大浸(タイシン・おおみず)の天に稽(とど)くとも溺れず、大旱(タイカン・おおひでり)に金石流れ土山焦(こが)るるとも、熱(あつ)しとせず。是(こ)れ其の塵垢秕糠(ジンコウヒコウ・ふけあかくいかす)も、将に猶お堯舜(ギョウ・シュン)を陶鋳(トウチュウ)せんとする者なり。孰(たれ)か肯(あ)えて物を以て事と為さんや。
連叔は言った、「なるほど、『視力のない人には文章(あやいろどり)の観(ながめ)をみるすべはないし、聴力のない人に鐘鼓(ショウコ=音楽)の声(ねいろ)をきくすべはない。けれどもそれは、形骸(からだ)の能力だけに限ったことではなく、知識についても同じことがいえる。』といわれるが、お前こそ、まさにそれだ。この「神人」は、万物をあまねく包みおおう究極的な「一」の世界に立ち、無為自然の「徳」によって一切存在を感化してゆくのだ。世間の人々が平和を願うからといって、天下のために苦労をして勤めるようなことをするだろうか。人為的な作為である政治の世界からは高く超越するのだ。この神人は、なにものにも傷つけられることがない。大水が出て天にとどくほどになっても溺れることがなく、大旱魃(おおひでり)(旱魃=干魃)で金属や岩石が溶けて流れ、大地や山肌が焦(こ)げるほどになっても熱さをかんじない。この神人は、その体の塵(ふけ)と垢(あか)のような「かす」や食いかすからでも堯舜くらいは簡単に作り出すことができるのだ。"孰(な)んぞ肯えて物(よのなか)をおさむることを以て事(しごと)と為(せ)んや"わざわざ人為的な作為である政治の世界に身をおくことはないのだ」と。
逍遥遊第一(12)
宋 人 資 章 甫 而 適 諸 越 , 越 人 斷 髮 文 身 , 無 所 用 之 。 堯 治 天 下 之 民 , 平 海 内 之 政 。 往 見 四 子 藐 姑 射 之 山 , 汾 水 之 陽 , ? 然 喪 其 天 下 焉 。
宋人(ソウひと)、章甫(ショウホ)を資として諸越(ショエツ)に適(ゆ)けり。越人(エツひと)は断髪文身にして、これを用うる所なし。堯(ギョウ)は天下の民を治め、海内(カイダイ)の政(セイ・まつりごと)を平(おさ)めてより、往きて四子に藐(はる)かなる姑射(コヤ)の山に見(まみ)えしが、汾水(フンスイ)の陽(きた)にて?然(ヨウゼン)として其の天下を喪(わす)れたり。
宋の国の人が章甫(ショウホ)の冠を仕入れて、南の越(エツ)の国へ売りに行った。ところが越の人はざんばら髪で、体には入れ墨をするのが一般的な風俗であるから、宋の国で珍重される章甫の冠も、越の国では全く用をなさなかった。堯は天下の民を統治し、世界の政治を安定させてから、藐姑射の山を訪ねて、四人の神人に逢ったが、都の郊外、汾水の北のあたりまで帰ってきて失神(茫然自失)し、自分が天下の王者であることを忘れてしまった。
逍遥遊第一(13)
惠 子 謂 莊 子 曰 : 「 魏 王 貽 我 大 瓠 之 種 , 我 樹 之 成 而 實 五 石 。 以 盛 水 漿 , 其 堅 不 能 自 舉 也 。 剖 之 以 為 瓢 , 則 瓠 落 無 所 容 。 非 不 ? 然 大 也 , 吾 為 其 無 用 而 ? 之 。 」
莊 子 曰 : 「 夫 子 固 拙 於 用 大 矣 。 宋 人 有 善 為 不 龜 手 之 藥 者 , 世 世 以 ? ? 絖 為 事 。 客 聞 之 , 請 買 其 方 百 金 。 聚 族 而 謀 曰 : 『 我 世 世 為 ? ? 絖 , 不 過 數 金 。 今 一 朝 而 鬻 技 百 金 , 請 與 之 。 』 客 得 之 , 以 説 ? 王 。 越 有 難 , ? 王 使 之 將 。 冬 , 與 越 人 水 戰 ,大 敗 越 人 , 裂 地 而 封 之 。 能 不 龜 手 一 也 , 或 以 封 , 或 不 免 於 ? ? 絖 , 則 所 用 之 異 也。 今 子 有 五 石 之 瓠 , 何 不 慮 以 為 大 樽 而 浮 乎 江 湖 , 而 憂 其 瓠 落 無 所 容 ? 則 夫 子 猶 有 蓬 之 心 也 夫 ! 」
恵子(ケイシ)、荘子に謂(い)いて曰わく、「魏王(ギオウ)、我れに大瓠(タイコ・おおひさご)の種を貽(おく)れり。我れこれを樹(う)えて成り、而して五石(ゴセキ)を実(み)たす。以て水漿(スイショウ)を盛れば、其の堅(おも)きこと自ら挙(もちあ)ぐる能(あた)わず。これを剖(さ)きて以て瓢(ひしゃく)と為せば、則ち瓠落(カクラク)として容(い)るる所なし。?然(キョウゼン)として大きからざるには非ざるも、吾れその無用なるが為(た)めにしてこれを?(うちわ)りたり」と。
荘子曰わく、「夫子(フウシ)は固(もと)より大(ダイ)なるものを用うるに拙(セツ・つたなし)なり。宋人(ソウひと)に善(よ)く不亀手(フキンシュ)の薬を為(つく)る者あり、世世(よよ)絖(わた)を??(さら)すことを以て事(しごと)と為せり。客これを聞き、其の方(ホウ・つくりかた)を百金にて買わんことを請(こ)う。族を聚(あつ)めて謀(はか)りて曰わく、我れ世世に絖(わた)を??(さら)すことを為せしも、(そのもうけは)数金に過ぎず。今一朝(イッチョウ・たちまち)にして技(わざ)を鬻(ひさ)ぎて百金となる、請(こ)うこれを与えんと。客これを得て、以て呉王に説けり。越(エツ)に難あり、呉王これをして将たらしむ。冬、越人(エツひと)と水戦して、大いに越人を敗(うちやぶ)れり。地を裂(さ)きてこれに封(ホウ)ず。能(よ)く不亀手するは一なるに、或(ある)いは以て封ぜられ、或いは絖(わた)を??(さら)すより免(まぬか)れざるは、則ち用うる所の異なればなり。今、子に五石(ゴセキ)の瓢(ひさご)あり、何ぞ以て大樽と為(な)して江湖に浮かぶことを慮(かんが)えずして、其の瓠落(カクラク)として容(い)るる所なきを憂(うれ)うるや。則ち夫子には猶(な)お蓬(ホウ・とらわれたる)の心あるかな」と。
恵子が荘子にむかって話した、「魏の王が私に大きな瓢の種をくださった。私はそれを植えて実がなったのだが、なんと五石(ゴセキ)もの量が入るのです。それに飲み物を容(い)れたら、とてもたやすく持ちあげられず、それを割って柄杓(ひしゃく)を作ったを作ったら、底が平たくて何も入らない。本当にばかでっかくて、使いようがないので、それをぶちこわしてしまったのですよ。(あなたは、いつもおおげさなことばかり言って役立たずですなあ)
荘子はいった。「あなたは、やっぱり大きなものの使い方がへたですなあ。宋の人であかぎれ止めの薬を上手に作る人がいて、(その薬を手につけて)絹わたを水で晒(さら)すのを代々の家業としていたのだが、旅人がそれを聞いて、薬の作り方を百金で買いたいと言ってきた。親族を集めて相談したところ『わしらは、代々絹わたを晒す仕事をしてきたが、たったの五・六金をもうけただけだ。それが、今すぐこの技術が百金で売れるというのだから、(この技術を)譲ることにしたい』旅人はその作り方を教えられると、それを呉王に説明して、水上戦に利用することをすすめた。やがて越(エツ)の国との戦争がおこったので、呉王はこの男を将軍にとりたてて、冬の最中(さなか)に越の軍隊と水上戦をまじえて越軍を大いにうち破った。(越軍の方ではあかぎれに悩まされてじゅうぶんな働きができなかったから。呉王は功績をたたえて)国土を分割して、この人を大名にとりたてた。さて、あかぎれを止めることができるという点では同じなのに、一方は大名にとりたてられ、一方は一生にわたって絹わたを晒す仕事からのがれられないというのは、そのあかぎれ止めの使い方が違ったからです。今、あなたに五百石のものが入る瓢があるなら、それを大樽(おおだる)の舟にしたてて、長江のひろき流れか湖のはるかなる波に浮かんで、心ゆくまで水と空の大自然のなかに自己を遊ばせたらよいものを。それをしないで、『これは無用だ』と絶叫するとは、蓬(よもぎ)のように、ボサボサとして、すっきりしない男だなあ・・・」と。
逍遥遊第一(14)
惠 子 謂 莊 子 曰 : 「 吾 有 大 樹 , 人 謂 之 樗 。 其 大 本 擁 腫 而 不 中 繩 墨 , 其 小 枝 卷 曲 而 不 中 規 矩 。 立 之 塗 , 匠 者 不 顧 。 今 子 之 言 , 大 而 無 用 , 衆 所 同 去 也 。 」
莊 子 曰 : 「 子 獨 不 見 狸 牲 乎 ? 卑 身 而 伏 , 以 候 敖 者 ; 東 西 跳 梁 , 不 辟 高 下 ; 中 於 機 辟 , 死 於 罔 罟 。 今 夫 ? 牛 , 其 大 若 垂 天 之 雲 。 此 能 為 大 矣 , 而 不 能 執 鼠 。 今 子 有 大 樹 , 患 其 無 用 , 何 不 樹 之 於 無 何 有 之 鄕 , 廣 莫 之 野 , 彷 徨 乎 無 為 其 側 , 逍 遙 乎 寢 臥 其 下 。 不 夭 斤 斧 , 物 無 害 者 , 無 所 可 用 , 安 所 困 苦 哉 !
恵子、荘子に謂(い)いて曰わく、「吾に大樹あり、人これを樗(チョ・おうち)と謂う。其の大本(タイホン・みき)は擁腫(ヨウショウ)して縄墨(ジョウボク)に中(あ)たらず、その小枝は巻曲(ケンキョク)して規矩(キク)に中たらず。これを塗(みち)に立つるも、匠者(ショウシャ)顧みず。今、子の言は大にして無用、衆の同(とも)に去(す)つる所なり」と。
荘子曰わく、「子は独(ひと)り狸牲(リセイ)を見ざるか。身を卑(ひく)くして伏し、以て敖者(ゴウシャ)を候(うかが)い、東西に跳梁(チョウリョウ)して高下を避(さ)けざるに、機辟(キヘキ・わな)に中(あ)たりて、罔罟(モウコ・あみ)に死す。今、夫(か)の?牛(リギュウ)は、其の大なること垂天(スイテン)の雲の若(ごと)し。此れ能く大たるも、而(しか)も鼠(ねずみ)を執(とら)うること能(あた)わず。今、子に大樹ありてその無用を患(うれ)う。何ぞこれを無何有(ムカユウ)の郷(キョウ)、広漠(コウバク)の野(ヤ)に樹(う)え、彷徨乎(ホウコウコ)として其の側(そば)に無為(ムイ)にし、逍遥乎(ショウヨウコ)として其の下に寝臥(シンガ)せざるや。斤斧(キンフ)に夭(たちき)られず、物の害する者なし。用うべき所なきも、安(なん)ぞ困苦する所あらんや」と。
恵子が荘子にむかって話しかけた、「私のところに大木があって、人はこれを樗(おうち)とよんでいますが、その幹はふしくれだったこぶだらけで直線はひけず、その小枝は曲がりくねって、規(ぶんまわし=コンパス)や矩(さしがね)は使えない。だから道ばたに立てておいても大工はふりむきもしません。ところで、あなたの話も大きすぎて用いようがないから、人々みんなにそっぽを向かれるのですなあ」と。
荘子はいった、「あなたは、あの狸牲(いたち)を見たことがないのですか、世間の人間なら誰でも見ていることだから、あなただけが知らないはずはあるまいに。身を低めて隠れていて、ふらふらと出てくる小さな獲物(えもの)にねらいをつけ、あちこちと跳びはねて高い所へも低い所へもゆくけれども、結局はその器用さがわざわいして機辟(わな)に中(はま)り、罔罟(あみ)にかかって殺されます。ところであの?牛(からうし)は、その大きいことはまるで大空いっぱいに広がった雲のようで、とても大きいけれど、小さな鼠(ねずみ)をつかまえたりはしないのですよ。今あなたのところに大木があって、それを使いようがないとご心配のようですが、どうして、それを物一つない世界、人ひとりいない曠野の真中に立てて、その側(かたわ)らに一切の人間的なるものを超越して自由なる孤独を彷徨し、その下に満ち足りた安らかさをねそべって豊かな生の充溢を逍遥しないのですか。世間から無用のレッテルをはられ、大工からも見捨てられたこの樗(おうち)の大木は、自己の天然のよわいを全うして、「斤斧」すなわち、まさかりやおのに刈り倒されることもなく、すべての物から安全な自己を確保するでしょう。世間的に無価値とされるからといって、何も気に病むことはないではありませんか」と。
(終)
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